マリアナ諸島










太平洋の戦跡を訪ねて 
戦場となった南の島々を巡る写真紀行のページ   

マリアナ諸島

Mariana Islands

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 マリアナ諸島の象徴である、ラッテストーン(Latte Stone)の複製。お椀型の石を載せた石柱の利用目的は長い間歴史学者たちの論争の的であったが、近年では高床式建築物の土台との説が有力。

グアム島

グアム島へ基地と観光の島に残る戦跡

サイパン島

ブーゲンビル島へ絶対国防圏の要となった悲劇の島

ロタ島

ロタ島へロタ空港周辺のエンジン類

テニアン島(作成中)

テニアン島へ玉砕と原爆機発信の島

 マリアナ諸島と一括りにされるものの、いまは米領グアム(Territory of Guam)と、グアム以外の島々からなる米国自治領(Commonwealth)の北マリアナ諸島(Northern Mariana Islands)に分かれる。どちらも米国領土でありながら、グアムからサイパンなど北マリアナの島々へ渡るには入国審査がある点、同じ米国コモンウェルスであるプエルトリコへ米国本土からパスポート審査が無く渡れるのと異なる。これは北マリアナ諸島は米国領となる過程で独自の出入国審査権を得ているためである。グアムとそれ以外の島々でこのような差が生じているのは1898年の米西戦争の結果、これらの島々を統治していたスペインから米国にグアムが割譲されたのに対して、それ以外のマリアナ諸島はドイツへ売却され、第一次世界大戦で独領から日本領、第二次大戦の後日本領から国連信託統治領、さらに信託統治領から米自治領へと変遷した経緯による。

 米国は二次大戦において多大な出血を払って獲得したマリアナ諸島を含むミクロネシア地域を当然ながら戦略的に重視し、自国の国防体制に組み込み続け、自国領とするため尽力してきた。ケネディ政権に提出された「ソロモン・レポート」で筋書きが書かれたとおりに米国は北マリアナで島々の帰属につき住民投票を行った結果、過半数が米国への統合を選び、マリアナ全島の米国帰属が決まった。住民にしてみれば第二次大戦後、日本人が引き上げた後で何の産業も無く留めおかれた境遇をすぐ隣で基地の島として繁栄するグアムと比較して米国領となる道を選んだのであろうか。これが戦後米国が意図的に産業育成を行わなかった結果だとしたら実に狡猾極まりないが、実際は米本国ではマリアナ諸島の民生のことなど殆ど顧みられることもなく、経済政策は無為無策のうちに時が経ったというところではあるまいか。

 ちなみに、旧植民地が独立するまでの移行措置として設けられた国連信託統治制度の下で、信託統治領が統治国に併合されたのは北マリアナ諸島が米国領になったのが唯一の例である。米国は第二次大戦で日本からマリアナ諸島を奪ったことを解放であるとして、北マリアナでも「解放記念日」(Liberation Day)を設けている(サイパン玉砕は7月7日、米軍が完全占領を宣言したのは7月9日だが、米国の独立記念日に合わせ7月4日に祝っている)が、これは素直に受け取れるものではない。米国は日本帝国主義の桎梏から解き放って自由を与えたのだと主張している訳だが、実際に行ったことは日本がドイツから島々を奪ったことと全く変わらない、19世紀的な帝国主義的手法そのものであろう。異なるのは、統治を正当化する手段として住民投票を使って20世紀流の民主主義の衣を着せているだけと言ってよいほど、この地域における米国のやり方は強引である。その強引さを隠すために、ことさらに「民主主義」と「解放」を掲げているように、私の目には映る。

 ただし、住民が独立を選んでいればその方が幸せであったのか、といえば単純にそう言い切れない点が難しい。収入や教育の面では間違いなく米領となったことで恩恵を受けているが、米国市民となったことで受けられる生活保護等の各種福祉に安住している住民が多く、生活文化のアメリカ化、チャモロ文化の喪失を嘆く向きもある。独立国であるパラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島から職と収入をを求めて米領グアム・サイパンへの出稼ぎ、あるいは移住を選ぶ人々は後を絶たない。元々は同じ国でありながら引き裂かれた米領サモアとサモア独立国(旧西サモア)で高収入に惹かれた住民が続々と米領を目指す状況と同じ構図が、かつては統一ミクロネシアを夢見たこの地域にはある。一つ確かなのは、他国の植民地になった経験も無い我々には独立よりも生活を優先する人々をさもしいと批判する権利などありはしないということであろうか。

 観光地として発展しつづけるグアムとサイパン以外のマリアナの島々は現在も進歩から取り残されており、人口も極端に少ない。町があるのもロタとテニアンのみで、パガンやアナタハンなど他の島々はほとんどが数家族が暮らすだけか、まったくの無人島である。また、そのお陰で豊富な自然が残され、日本統治時代の遺構や戦跡が残っているのもまた皮肉なことである。これらの島々にも、機会あれば是非渡ってみたい。