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更新日 2019-05-03 | 作成日 2008-12-09

近現代史研究会第38回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第38回)概要◆

  • 講演テーマ:「忠孝一貫~陸軍軍曹のペリリュー島戦」
  • 講師:永井 敬司 先生

◆開催日時

  • 平成31年4月29日(月)
  • 14時~

◆開催場所

  • 東京都台東区西浅草3-28-1
  • 寿仙院
  • http://www.jusenin.com/info.html

  • つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩2分
  • JR 鶯谷駅より徒歩15分
  • 東京メトロ 銀座線 田原町駅より徒歩9分
  • 東京メトロ 日比谷線 入谷駅より徒歩9分

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
永井先生     講演の様子
聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
講演の様子     永井先生を囲んで


◆講師プロフィール

  • 永井 敬司(ながいけいじ)
  • 旧姓は舘。大正10(1921)年7月、茨城県生まれ。97歳。18歳で志願、昭和15年1月に歩兵第二聯隊に入隊。2期検閲を終えた同年9月、満州に渡り、西部国境ハンダガイ地区の防衛に任ずる。
    上等兵となり、延吉(現在の吉林省)にある関東軍の教導学校で1年2ヶ月の下士官教育を受け、昭和17年に伍長に任官。
    昭和18年3月から北部国境の神武屯地区の防衛に任ずる。同年、軍曹に進級。
    昭和19年3月、聯隊は旅順に集結し、横浜・館山・小笠原を経て4月下旬にパラオへ。聯隊は直ちにペリリュー島へ向かい、陣地構築や訓練を実施。
    同年9月15日、ペリリュー島に米軍が上陸。第二大隊本部付の永井は大隊長と共に突撃を敢行するも、大隊長戦死、残存兵力は富山付近の第二線陣地に後退する。迫撃砲の破片により大腿部負傷。
    11月24日、聯隊長中川州男大佐は玉砕電文「サクラ」を連送したのち自決、組織的戦闘は終わった。ペリリュー島の戦いは、その勇戦敢闘ぶりに天皇陛下のご嘉賞が11回にも及んでいる。
    しかし聯隊本部と通信が途絶していた西地区隊(第二大隊)は聯隊長の自決を知らず、天山を死守するため洞窟に潜伏し、その後は二年半にわたって遊撃戦を続行した。
    永井ら陸海軍将兵34名が、元第四艦隊参謀長の澄川道男海軍少将の呼びかけにより武装解除に応じたのは、昭和22年4月であった。
    復員後は茨城大学事務官を勤めた後、菓子店を経営。

参加者の感想

本日は大変貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。戦前の日本人の意識や軍人になった理由、軍隊内の事情、満州の様子、そして何よりペリリュー島での体験は本当に興味深かったです。ペリリューでの米軍の攻撃の様子や、米軍の食糧を盗んだことなど、実際に経験した人の話は本で読むだけの場合と異なり、非常に生々しく感銘を受けました。また戦争に反対するお気持ち、アメリカや中国に対するお考えにはとても感動しました。永井先生のお考えを忘れずにこれから生きていきたいと思いました。ペリリュー島の島民との交流についても教えていただき、本当にありがとうございました。どうかお身体に気を付けて長生きしてください。

(49歳/男性)

大変に貴重なお話を拝聴できました。永井先生、関係の皆様、ありがとうございました。ペリリューを体験された先生のお話を生で聞くことは、本で読む物語とは一味も二味も違った、生き生きとした物語でした。あの戦場を戦った人間の体験、経験の10万分の1でも感じとれたかもしれません。本当にありがとうございました。先生、お元気で。9/15の米軍上陸の海岸は「夜の銀座のようだった」という言葉が印象に残りました。

(50歳/女性)

とても貴重なお話をありがとうございました。私は平成生まれで「戦争」というものは学校で習いました。教科書の見開き1ページに、「国民は戦争に協力した」「原爆が落とされた」という、いくつかのことしか書いていません。東南アジアの島々で戦っている人がいたことを教科書で知りたいと思いました。今、不自由なく暮らせている私は、本当に幸せ者だなと今日のお話を聞いて実感しました。私たちの若い世代が、未来の日本に受け継ぐべき大切なことだと思うのが、日本にも食糧難の時代があった、自分の命をかけてでも国のために戦地に行く人がいたこと、戦争の悲惨さを伝えていきたいです。戦争を経験された方のお話を聞くのは初めてでした。米軍が攻撃してきた時など経験された人だけが知る生の声を聞けて、良かったです。二度と、このような悲惨なできごとが起こらないことを願っています。本日は、本当に有難う御座いました。

(13歳/女性)

97歳の永井先生は力強いしっかりしたお声でお話をしていただき、陸軍軍曹で戦後2年間を越える期間、ペリリューに潜伏し続けた軍人精神を今も感じるほどでした。太ももに弾の破片が貫通しても痛みを後になって気づいたことなど、興奮状態が痛みを感じさせなかったのだと思います。野戦病院などない島では、動けない傷を負った時には自決しかなかったというお話は、「太平洋の防波堤」として、戦争の悲しさを教えていただきました。

(35歳/男性)

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