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更新日 2018-10-17 | 作成日 2008-12-09

近現代史研究会第37回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第37回)概要◆

  • 講演テーマ:「艦攻偵察員の真珠湾攻撃」
  • 講師:吉岡 政光 先生

◆開催日時

  • 平成30年10月13日(土)
  • 14時~

◆開催場所

  • 東京都台東区西浅草3-28-1
  • 寿仙院
  • http://www.jusenin.com/info.html

  • つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩2分
  • JR 鶯谷駅より徒歩15分
  • 東京メトロ 銀座線 田原町駅より徒歩9分
  • 東京メトロ 日比谷線 入谷駅より徒歩9分

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
講演の様子     魚雷について説明する吉岡先生
聴講会中のスナップ    
吉岡先生を囲んで      


◆講師プロフィール

  • 吉岡 政光(よしおか・まさみつ)
  • 大正7(1918)年1月、石川県生まれ。昭和11年6月、呉海兵団に入団。同年11月、佐伯海軍航空隊へ。昭和12年6月、第40期普通科整備術練習生(霞ケ浦海軍航空隊)。翌年2月、「加賀」に整備兵として乗り組み。同年暮れに第43期偵察練習生となる(横須賀海軍航空隊)。さらに大分海軍航空隊で実用機教程を修了後、昭和14年9月「蒼龍」に偵察員として乗り組み。昭和16年12月8日、ハワイ作戦(真珠湾攻撃)に参加(九七式艦上攻撃機/特三攻撃隊の1中隊)。その後、ウェーキ島攻略支援を経て呉へ。昭和17年3月、インド洋作戦(セイロン沖海戦)に参加。のち陸上勤務となり、同年8月〜昭和18年12月まで、鈴鹿海軍航空隊にて偵察練習生の教員となる。第五八二海軍航空隊に転勤のためラバウルに向かうも経由地のトラック諸島でトラック大空襲に遭遇、さらに飛行隊の編成替えとなり、攻撃第105飛行隊に転属。サイパンを経由してペリリュー、セブ島を転々とする。昭和19年暮れに飛行隊再編成のため、百里原海軍航空隊へ。9年3ヵ月の海軍生活、海軍少尉で終戦を迎える。

参加者の感想

本日は大変貴重なお話をありがとうございました。まさか平成の終わりに“真珠湾の勇士”の体験談を聞くことができるとは思いもよりませんでした。

(64歳/男性)

私は中学生のときから戦史に興味を持ち、現在の高校3年生になるまでインターネットや戦史の本で真珠湾攻撃のことを知りました。しかし文の情報だけで、実際の状況は知りませんでした。今回の吉岡さんのお話で、真珠湾攻撃に行った、実際の人が当時どのような思いで作戦に参加したのかを知り、とても良い経験ができました。

(18歳/男性)

100歳になられながらも大変お元気で声もしっかりしていらっしゃるのに驚きました。また記憶がはっきりしておられるのも驚きで、戦いの細かいこと、高射砲弾が炸裂したところに突っ込むと硝煙のにおいがしたことなども聞くことができ、大変リアルな話に感嘆いたしました。物事をとても客観的に見られる方との印象を持ち、うらみがましいことなど話されませんでしたが、それだけに真珠湾で雷撃したのがユタと知ってがっかりされ、落ち込まれたとのお話では、その落胆ぶりが良く伝わってきました。上官や戦友の出身地、出身期別を良く憶えておられるのも印象的であり、戦友との絆の深さ、戦友愛の強さを感じました。整備科にいらしただけに、メカニックの面でも非常に正確、細部に関することも記憶しておられることも印象的でした。とくに頭に残ったエピソードは、真珠湾での魚雷投下前に深度調整をやりなおしたとの一件です。他では聞けない、まさにここだけのお話だったかと思います。

(52歳/男性)

このたびは真珠湾攻撃のお話を聞けるということで福岡から参加しました。吉岡先生が蒼龍に乗艦されて真珠湾攻撃からインド洋海戦まで艦攻で戦われたお話をお聞きし、100歳とは思えぬハッキリした分かりやすく、戦争の実際を伝える、壮大な素晴らしいお話で、息をのむ思いで聞いていました。実は真珠湾攻撃のお話は一度も聞くことができないものとあきらめていましたが、パンダ会様のおかげで遂にお聞きする機会を得ることができました。福岡から日帰りで参加のため、残念ながら5時で退出させていただきましたが、吉岡先生のお話を十分にお聞きすることができ、本当に光栄でした。ありがとうございました。

(49歳/男性)

近現代史研究会第36回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第36回)概要◆

  • 講演テーマ:「白兵戦幾たびか――南支・湘桂作戦の回想」
  • 講師:常盤 盛晴 先生

◆開催日時

  • 平成30年3月17日(土)
  • 14時~

◆開催場所

  • 東京都台東区西浅草3-28-1
  • 寿仙院
  • http://www.jusenin.com/info.html

  • つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩2分
  • JR 鶯谷駅より徒歩15分
  • 東京メトロ 銀座線 田原町駅より徒歩9分
  • 東京メトロ 日比谷線 入谷駅より徒歩9分

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
遠方からも多くのご参加をいただきました     常盤先生、最後には「南支派遣軍の歌」を披露してくださいました
聴講会中のスナップ    
常盤先生を囲んでの集合写真    


◆講師プロフィール

  • 常盤 盛晴(ときわ・もりはる)
  • 府立五中を経て、昭和11年3月、東京陸軍幼年学校に入校(40期)。
    13年11月、陸軍 士官学校予科、翌年11月、歩兵第8連隊付として満州の三江省 佳木斯・勃利へ。15年3月、士官学校本科。翌年7月卒業(55 期)。
    第104師団隷下の歩兵第108連隊に配属となり、広東へ。陽梅圩にて陣地警備。のち四邑作戦で師団長の護衛小隊長。 連隊に復帰後は敵陣攻撃や市街戦などに参加、作戦終了後反転して三水・仏山付近での戦闘に参加。全期間を通しての白兵戦は17~18回に上る。また連隊旗手、初年兵教育、宣撫活動としての日本語学校開設なども経験した。19年5月末から開始された一号作戦(大陸打通作戦)の湘桂作戦に参加(のち反転して広州湾の対米戦警備)。
    20年3月、歩兵学校での大隊長教育を経て、歩兵第504聯隊の第三大隊長で終戦を迎える。陸軍大尉。

参加者の感想

講師の常盤先生は90代、3時間近くしっかりとお話をする体力・気力のすごさに驚かされました。また漢詩を北京語で諳んじる姿、その当時の教養として当然にあったのでしょう。大正・昭和一桁生まれのかたがたと人間力というか強さでは、現代に生きる我々は絶対に勝てないと思います。先生が最初に話した自由主義は権利と義務、義務を貫いてから権利を主張すること、今の自由主義はなっていないとの“カツ”を入れるお話はまさに、現代を生きる我々にとっては大事にしなければいけない先生からのお叱りと受け止めました。日本人がすばらしいとの本が最近よく売れているようですが、昔の日本人がすばらしかっただけで、その遺産で生活しているだけの今の日本人がすばらしいわけではない。常盤先生、本当に長い時間にわたりお話しいただきありがとうございました。事務局、スタッフの皆様、貴重な機会をお忙しい中設定していただきありがとうございました。

(44歳・男性)

大陸打通作戦の事を知りたいと思いつつ、よい書籍を見つけることもできず、何もわからないまま参加しましたが、当時の状況がよくわかるお話が伺えたと思います。戦いというより当時の大陸の様子が興味深く、こうしたお話は戦史にもでてこないので、大変よかったと思います(博識を感じました)。また歯切れのよい口調で聞いていて引き込まれるように思いました。大陸の話はほとんど聞いたことがないのですが、「大陸で負けたことはない」の言葉が印象的でした。

(53歳・男性)

生い立ちのご説明で府立五中の自由主義教育の話をされ、まず義務を果たしてから権利を主張すべし、との教えにはほとんどの人の同意するところと思います。余談ではありましたが、御祖父さまが薩摩の村田新八、中村半次郎と斬り合ったとのお話も大変興味深く伺いました。文学にとても通じていらして、大阪聯隊の営庭に咲く菊を歌に詠んで、また母親から返歌があった話、宣撫工作に出て七言絶句を北京語で吟じて地元の親分に抱き着かれるほど感激された話も豊かな色を加えていました。当時の軍学校を出た方の教養の深さを重い知らされます。戦闘については、友軍相撃事件、歩兵砲の誤射などのリアルな体験談、また木の上から魚が降ってきた話や阿片を押収した話など、いずれも現在では他に得難い貴重な体験談です。大陸打通作戦の詳細なお話が聞けなかったのが少々残念でしたが、時を改めて続きのお話を伺いたいと思います。90代後半には思えない張りのある声、ユーモアあって一つ一つのエピソードが興味を引く語り口で聞きやすく、時間を忘れて聞き入ってしまいました。

(51歳・男性)

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