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更新日 2016-03-01 | 作成日 2008-12-09

近現代史研究会第32回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第32回)概要◆

  • 講演テーマ:「陸軍経理部士官の大東亜戦 ~二・二六事件からビルマ戦線まで」
  • 講師:志水 慶朗 先生

◆開催日時

  • 平成28年7月30日(土)
  • 14時~

◆開催場所

  • 東京都台東区西浅草3-28-1
  • 寿仙院
  • http://www.jusenin.com/info.html

  • つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩2分
  • JR 鶯谷駅より徒歩15分
  • 東京メトロ 銀座線 田原町駅より徒歩9分
  • 東京メトロ 日比谷線 入谷駅より徒歩9分

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
当時の様子を語る志水慶朗先生     志水慶朗先生を囲んでの集合写真
聴講会中のスナップ      
志水慶朗先生      


◆講師プロフィール

  • 志水 慶朗(しみず よしろう)
  • 大正5年7月5日、埼玉県生まれ。昭和10年に現役志願、昭和11年1月、歩兵第三聯隊に入隊。同聯隊は2・26事件で警視庁および鉄道大臣官邸を占拠する。同年5月、満洲に駐屯、警備の任に就く。昭和12年6月、経理部下士官候補者に志願し、10月に主計伍長に任官。昭和13年4月、主計軍曹。昭和14年4月、主計曹長。ノモンハン事件では第一線で総攻撃待機中に停戦となる。同年10月、輜重兵第一聯隊に転属。昭和15年10月、師団経理部付。昭和17年7月、経理部少尉候補者試験を受験し、合格。12月に陸軍経理学校入校。昭和18年10月に卒業し、歩兵第百十九聯隊付(福井県敦賀)となる。昭和18年11月、第五十三師団(安)に動員下令、翌年1月、南方へ向かう。同月、主計少尉。シンガポールを経てマラッカにて警備のため駐屯の後、ビルマに進出。モウガンにて、フーコンより撤退中の第18師団(菊)の収容の任にあたる。7月、インパール作戦中止。昭和20年1月、シングー方面(クレ高地)の戦闘に参加。3月、主計中尉。シッタン河の河口にて第二十八軍(策)の収容任務中に終戦を迎える。アーロン収容所を経て昭和22年6月、宇品にて復員。

参加者の感想

本日は大変貴重なお話ありがとうございます。志水先生の2.26事件、ノモンハン事件、ビルマ戦線を実際に経験された生のお話に感じ入りました。2016年になって、100歳の先生のお話を聴くことができるなんて驚きです。九州から来た甲斐がありました。どのお話も教科書やテレビでは知っているつもりですが、先生の生のお話を聴くことにより、本当にあったこと、歴史の1ページであることを実感しました。2.26のおにぎり、ビルマの白骨街道など、リアルで興味深いお話をたくさんお聞きできました。

(46歳・男性)

主計兵としての任務を完遂された体験を淡々と語られる志水先生のお話を興味深くお伺いしました。後方部隊とはいえ、生死の危険にさらされながら、戦線をかいくぐって来た体験が戦後に生かされて今日まで来られたことは感慨深く思います。どうもありがとうございました。

(51歳・男性)

歴史的に大変重要なご経験をされたお話の中にも、当時の若者の思い、考えを語ってくださり、若者の考え方は昔も今も変わらないのだと思いました。事の重大さとは別に、若者は常に「早く帰りたいな」「お腹がすいたな」など、当然の思考が当時もあったのだと思い知りました。

(44歳・女性)

気が付けば2.26事件に参戦していたこと、あと1日停戦が遅ければノモンハン総攻撃に参戦していたこと、ビルマ縦断戦闘など、話のスケールの大きさに圧倒されました。一方、2.26事件の差異の29日、完成前の国会議事堂に突入、立てこもり中に見学したり、宿舎に戻ると参戦しなかった仲間から赤飯が出たりと、実体験した方にしかわからないお話も聞けて有意義でした。

(39歳・男性)

近現代史研究会第31回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第31回)概要◆

  • 講演テーマ:「満洲の軍隊生活と旧ソ連抑留 ~イラストで見る私の戦争体験」
  • 講師:木内 信夫 先生

◆開催日時

  • 平成28年2月28日(日)14時~

◆開催場所

  • アークヒルズコミュニティーセンター
  • 住  所:港区六本木1-3-39 アークタワーズイースト2階
  • アクセス:地下鉄南北線 六本木1丁目駅 3番出口より徒歩3分

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
当時の様子を語る木内信夫先生     木内信夫先生を囲んでの集合写真
聴講会中のスナップ      
木内信夫先生      


◆講師プロフィール

  • 木内 信夫(きうち のぶお)
  • 大正12(1923) 年、東京赤坂生まれ。航空技能養成校を卒業後、昭和19年8月、 満洲にある第29飛 行戦隊第27対空無線隊に入隊。敗戦後、戦友と共に満洲から脱出を図るも、北鮮にて民兵に逮捕 され、ソ連軍の管理下に置か れる。シベリアを横断し、ウクライナ共和国(旧ソ連)にて抑留生活を送る。昭和23年7月 に復員。戦後は小糸製作所勤務の傍ら、絵を描き始める。劇団四 季『異国の丘』では舞台衣装の時代考証を担当。平成27(2015) 年、京都府舞鶴引揚記念館に寄贈した抑留イラストのうち40枚 が、ユネスコ世界記憶遺産として登録された。

参加者の感想

幼少期のことを含めて、ご記憶が細かい点まで正確であることに驚きます。師団が全国のどこにあったか、す らすら出てくるところなど、当時の常識的なことはもちろんですが、ディティールに富んだエピソードばかりなのはその場面一つ一つを画 像として憶えていらっしゃるためではないかと思えます。大抵の人が辛い、苦しい思い出ばかりを語る軍隊生活を「楽しかった」と語る軽 妙な語り口にも驚かされました。教練が得意で学校では中隊長にまでなったこと、相撲が上手で誰も敵わなかったこと、お蔭でイジメ、シ ゴキにも遭わずに済んだこと、また同年兵をいじめた古参兵の喉を銃剣術の訓練中に突いて仕返しをした話など、軍隊の実態を知るうえで 大変参考になる、考えさせられるエピソードでした。悲惨でなかったはずはない旧ソ連での抑留生活についても、「涙もつららになる」 等、悲しい思い出も多く語りながら、ロシア兵や民衆への共感、愛情と親しみが語られた点には人間愛を感じ、大いに感動いたしました。 ロシア兵との交流の思い出を描いたイラストがロシアで公開され、ご子息が名乗り出られたエピソードには驚きと感動を禁じ得ません。辛 い中でもユーモアと好奇心を失わなかったところは、極限状態から生還された他の方々のご体験と共通しますが、極限の中でどれだけの人 が自分を失わずにいられるものかと考えさせられます。貴重な考察の機会、談話をありがとうございました。

(49歳男性)

イラスト付きで大変生き生きと楽しそうに話されていたのが印象的でした。とくに軍事教練のお話は、相撲、2000m走、銃剣術、手裏剣まで詳しく聞けて面白かったです。厳しそうな話や絵といえば満洲から当時日本であっ た朝鮮への蒸気機関車での潜伏脱走と、新義州での服役、極寒のソ連での薪運び等でしたが、なぜか冒険活劇のように思えたほどです。先 生のお話を聞いて、ロシア人に対して良いイメージを持つことができました。

(38歳男性)

抑留のイメージが変わりました。やはり真実を見つめるには、いろいろな角度から見る必要があるとつくづく思います。戦争はしてはいけない とわかりきっている中で、その当時、生きて体験した人の言葉を聞き、感じることは本当に大切なことだと思います。聴講会を通じて思うこと は、精神的に楽観的でいて、内臓が強い人が運をもたらして生きて帰ってきているように思えます。自分のおじいさんも、そんな人でした。

(47歳男性)

木内先生、本日は貴重なお話をしていただき、ありがとうございます。木内先生の「お国のために死ぬ覚悟」を、 お話を通じて感じました。イラストがとてもわかりやすく、当時の様子がイメージしやすく満洲や旧ソ連の現状を知ることができました。木内 先生は先生や上官に恵まれたとおっしゃっていましたが、木内先生の人柄と強い生命力に引き寄せられたからだと思いました。木内先生の軍隊 生活を後世に伝えるとともに、自身の生き方に活かしていきます。また木内先生とソ連航空士官との出会いと戦後の遺族との出会いは感動いた しました。戦場の絆が生んだ「奇跡」です。心温まるお話をありがとうございました。

(27歳男性)

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