過去の聴講会

| HOME | 活動報告 | 過去の聴講会 | 2011年開催 |

更新日 2011-10-02 | 作成日 2008-12-09

近現代史研究会第十六回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第16回)概要◆

講演テーマ   「憲兵曹長が語る戦時」    磯部喜一(いそべきいち)先生

■開催日時
平成23年9月24日(土)
 受付開始   14:30時 

■開催場所
所在地 東京都港区六本木1-3-39 アークタワーズイースト2F
会場名 アークヒルズコミュニティセンター

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
当時の心境や様子を具体的にご説明頂きました。     先生との記念写真



■講師プロフィール

磯部喜一(いそべ きいち)先生
大正8年3月生まれ(92歳)。神奈川県鎌倉市市出身。
鎌倉中学校卒業後、昭和15年1月、甲府歩兵第49聯隊に現役入隊。同年12月、陸軍憲兵学校教習隊入校の後、昭和16年6月、憲兵兵長を拝命、即日、横浜憲兵隊本部赴任。同年9月には葉山御用邸に於ける天皇陛下御一家の御警衛を務める。昭和17年6月、憲兵伍長、翌年6月、憲兵軍曹と昇進し、昭和19年には外地派遣が下命(志願)され、ビルマ憲兵隊司令部を筆頭に、南方各地の憲兵分隊や泰緬鉄道敷設現場等に赴任、情報収集の任にもあたる。昭和20年6月、憲兵曹長に昇進、8月終戦の後、捕虜生活と戦犯取り調べの中、ビルマ刑務所にて服役、昭和22年4月復員。

近現代史研究会第十五回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第15回)概要◆

講演テーマ 「ガダルカナル島『丸山道』について」   講師 金泉潤子郎 先生

■開催日時
平成23年7月24日(日)
受付開始 13:30

■開催場所
所在地 東京都港区六本木1-3-39 アークタワーズイースト2F
会場名 アークヒルズコミュニティセンター

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
当時の心境や様子を具体的にご説明頂きました。     先生との記念写真



■講師プロフィール

金泉潤子郎(かないずみ じゅんしろう)
大正8年、新潟県生まれ(92歳)。
昭和15年に仙台の工兵第二聯隊留守隊に入 隊。昭和17年3月、ジャワ上陸。その後、ラバウルを経由して10月4日にガダル カナル島上陸。飛行場を奪回するために第二師団は総攻撃を行うが、その際の密林啓 開に従事する(この啓開路は師団長の名を取って「丸山道」という)。昭和18年2 月4日、ガ島撤退。遺骨宰領のため内地へ帰還し、補充兵教育を行う。同年末に原隊 復帰。昭和19年8月より雲南省にて「断作戦」に参加するも、負傷のため兵站病院 へ。仏印にて終戦となる。現在も都内で(有)金泉工務店を経営している。

近現代史研究会第十四回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第14回)概要◆

講演テーマ 「人間爆弾『桜花』 神雷部隊搭乗員の軌跡」 講師 鈴木 英男 先生

■開催日時
平成23年5月29日(日) 14:30~ 

■開催場所
所在地 東京都港区六本木1-3-39 アークタワーズイースト2F
会場名 アークヒルズコミュニティセンター

聴講会中のスナップ     聴講会中のスナップ
当時の心境や様子を具体的にご説明頂きました。     2列目右から2番目が鈴木氏



■講師プロフィール

鈴木 英男(すずき ひでお)

大正12年5月生まれ(88歳)。静岡県熱海市出身。
昭和18年9月、早稲田大学専門部商科を卒業後、第13期予備学生として海軍に入隊。
昭和19年5月、台南航空隊に配属、艦上攻撃機の訓練教程を経て、9月に澎湖島の哨戒部隊(953空)へ。台南空時代に特攻志願。台湾沖航空戦最中の同年10月、茨城県神ノ池の第721航空隊(神雷部隊)へ転属となる。ここで人間爆弾「桜花」の訓練を行った。昭和20年8月、小松基地で終戦を迎える。
海軍大尉

近現代史研究会第十三回聴講会が開催されました

◆近現代史研究会 聴講会(第13回)概要◆

講演テーマ 「真珠湾攻撃 参加の思い出」  講師 市来俊男先生

■開催日時
平成23年1月29日(土) 14:00~ 

■開催場所
所在地 東京都新宿区歌舞伎町1-1-16
テイケイトレード新宿ビル8F
会場名 テイケイトレード(株)会議室

聴講会中のスナップ


■講師プロフィール

市来俊男(いちき としお)

大正8年鹿児島県生まれ。元海軍大尉。昭和10年、海軍兵学校入学。昭和15年に少尉に任官。昭和16年の開戦時には中尉。

駆逐艦「陽炎」航海長。同18年には重巡「青葉」、戦艦「山城」の分隊長を勤めたあと、海軍兵学校教官となる。終戦後、海防艦「生名」艦長となり、機雷掃海に従事したのち復員。同27年、海上警備隊に入隊し、自衛艦隊、海上幕僚監部、幹部学校、防衛研究所などに勤務。昭和47年の退官後は防衛研究所戦史室戦史編纂官、戦史研究室長などを勤める。現在は前の大戦の研究と執筆を続けている。

参加者の感想

真珠湾攻撃に際して、その作戦を行う前、行動を起こす前の時間、緊張というものは、先にどうなるか分らないということで、非常な時間を過ごさなければならないという、本当の真剣勝負というものの凄みが伝わってきたきました。
そして、空母が向かい風を得るために、全速力で進み、戦闘機は、軽々と、艦上爆撃機は、一度沈んでから、上昇するという絵が、頭の中でイメージした時には、実際にその状況を体験した人にしか、伝えられないものがあるのだと、改めて実感しました。
言葉が、適切であるかどうか、悩ましいところですが、一來先生と谷川先生との、一生涯の戦友という関係には、羨ましさを感じました。
こういうことを、話してしまうと、すぐ戦争をしたがっているとか、陰で言われてしまいそうですが、一生涯を通して、信頼しあえる友を得られるということを、羨ましく思ってしまうのは、自分にとって素直に思ってしまうことなので、どうしようもありません。
そして、太平洋上、ハワイに向かう途中に、’電波を発した’ということについて、「当時の状況、また、海軍の規律を考えれば、あり得ない」という言葉には、凄く感動してしまいました。自分の仕事に対する、誇り、苦楽を共に共有した仲間との信頼関係があるからこその言葉だと思いました。
その言葉を聞いた自分は、そうなのだろうと、思うこともできるし、その言葉を信用することも出来ます。
大東亜戦争を、戦った世代が現役を退くにつれ(1990年頃から?)、日本の活力は衰退しかないように思います。自分が小さい頃は、日本の勢いというものを、肌身で感じることが出来た最後の世代なのかなと思います。
そして、自分より、一回り下となると、憂鬱な社会しか意識することが出来なかったのではと思います。世界を相手に、果敢に戦った軌跡を、考え、感じることが出来れば、これから、戦う意欲もわき起こるに違いないと、自分の中で確信めいたものがあります。
一緒に仕事をしていた、一回り下の子に機があれば伝えたいと、思っていましたが、なかなか難しいです。でも、諦めずに、日々を活きていこうと、話を聞きながら思っていました。

【大串直行】

弟様のご不幸にもかかわらずお出でいただき、流石は軍人、「私」より「公」を優先する精神に頭が下がりました。戦後最も欠けているものを先生の中に見た思いがいたしました。
再度攻撃しなかったことがよく非難されますが、夜間で艦載機の収容が困難、安定器を付けた魚雷が足りないなど、お聞きすれば止むをえなかったかと、納得します。また米軍の反撃がかなり素早く、僅か1時間後の2次攻撃の被害が1次攻撃に比べかなり大きかったことを考えると、立ち直った米軍に、相手空母の位置も分からないまま再攻撃するのは危険な懸けになったと思います。計算してみると、被害は一次攻撃5%(183機中9機喪失)、2次攻撃12%(167機中20機喪失)で、再度の攻撃をすればこれを大きく上回ることは容易に推測できます。山本長官が「南雲の性格から再攻撃はやらないよ」と言った、とおっしゃいましたが、分かるような気がします。
防寒服を用意したがその理由を知らされなかった話、ワイヤーがスクリューに絡んで旗艦の「赤城」が中々出てこなかった話など、実際の戦闘以外の、その前後のエピソードも非常に興味深く伺いました。
ご著書にご署名とお言葉をいただきありがとうございました。熟読し大切にいたします。

【水野靖夫】

メンバーブログリンク

ガダルカナル島 『丸山道』自主派遣隊公式ブログ ガダルカナル島 『丸山道』自主派遣隊公式ブログ
遺骨帰還活動を行う学生が、『丸山道』自主派遣隊の様子をお知らせします。

日々是熊猫日記PandA会代表笹幸恵ブログ
ぱんつぶ。ぱんつぶ。笹幸恵のブログ。

PandA会メーリングリスト申込

聴講会のお知らせメールをご希望の方はこちらからお申し込み下さい。

*氏 名
*E-mail