横須賀フィールドワーク

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更新日 2010-03-17 | 作成日 2008-12-09
















第二回フィールドワーク 横須賀

 2009.06.07

フィールドワーク概要

■日時■

  • 2009年6月7日(日)

■場所■

  • 横須賀市 料亭小松・三笠公園・猿島・防衛大学

■参加人数■

  • 9名

■タイムスケジュール■

  • 10:30 横須賀中央駅集合
  • 11:00 「料亭小松」到着
  • 11:15 応接室で三代目ご主人より「料亭小松」の歴史概要説明
  • 11:25 館内見学
  • 11:55 昼食会
  • 13:00 小松玄関前で記念撮影し、三笠公園へ移動
  • 13:30 遊覧船で「猿島」へ  
    • 猿島を横須賀ガイドボランティアの先輩の説明を受けながら見学(約1時間)ガイドは要予約
  • 15:45 猿島出発
  • 16:00 「みかさ」前で記念撮影
  • 16:20 防大へ移動 防大見学
  • 17:10 ドブ板通りで二次会
    • ハンバーガーショップとカレー専門店をはしご
  • 19:20 ほろ良い気分で現地解散

フォトギャラリー

海軍料亭小松

小松小松の応接室。海軍ゆかりの品々が並ぶ小松壁一面の写真や記念品。ご主人より由来を説明して頂いた小松移転前の小松を描いた画
小松東郷平八郎の書 小松上村彦之丞の書小松右より、鈴木貫太郎、米内光政、山本五十六の書
小松初代女将の米寿に因んだ八十八帖の間小松この柱一本で家が建つとか・・・小松お食事。ビールは勿論東郷ビール

三笠公園・猿島

三笠日本海海戦連合艦隊旗艦三笠三笠正面より。主砲は米軍基地見つめている三笠皇国の興廃この一戦にあり各員一層、奮励努力せよ
猿島かつて要塞のあった猿島。三笠公園より船で約10分猿島発電施設跡の煙突。明治時代のもの猿島通信ケーブルの管。壁が崩れ露わになっている
猿島煉瓦積みの倉庫。日本では珍しいフランス積み猿島生い茂る木々から漏れる日光が美しかった猿島トンネル内。弾薬庫跡が数か所ある
猿島トンネルの上へ抜ける出口猿島島東部より望む。観音崎がかすかに見える猿島展望台。残念ながら立ち入り禁止になっていた
猿島猿島春日神社跡。今はベンチが置かれている猿島かつての要塞も今は観光地。かなり賑わっていた猿島海軍港碑

防衛大学校(+1)

防大時計塔。衝撃実験施設も兼ねているとのこと防大敷地内に残るトーチカ。我々の心を鷲掴み防大トーチカ内から湾を臨む
防大トーチカ内。さすがに暗い防大敷地内に展示してあった戦闘機。他にも戦車数台横須賀横須賀繁華街にて発見!

フィールドワークレポート

 参加者より一言

「観測所跡にこんなに関心を持ってくれる人がいるなんて、感激しました」
防大関係者の方がポツリともらしたこの一言に、胸が熱くなりました。防大には、演習場の片隅に敗戦まで使われていたという砲台の観測所があります。寂れてはいるものの、その威容にはしゃぎまくる私たち。それを静かに眺めていた彼の一言でした。
振り返られることのない戦争遺跡。そこにいた人々は何を見たのか。何を思ったのか。彼の一言で、胸が熱くなるのと相反するように、「はしゃぎすぎたな」の感を強くしました。
「小松」は二度目。古いがゆえに際立つ、心落ち着く何か。ここに来るとそれが体感できるので、何度でも訪れたい場所です。猿島はBBQで訪れる若者グループや家族連れが目につきました。砲台跡でピクニック。日本は平和です。有り難く、そしてちょっと哀しく。それにしても、昔の建築物(というか要塞)はすごい!「島」に圧倒されました。

【P】

横須賀には最近、行くことが多々あるのですが、今回は別の角度からの横須賀を堪能でき感激しています。
「小松」に於いては近代的な建物の中にぽつんと、そこだけ時間が止まったかのような空間があり歴史の重みを感じました。中に入ると一層それが深まり気持ちが引き締まる思いでした。(前日、飲み過ぎで二日酔い気味でしたが、すっ飛びました。)
建築物、掛け軸、料理どれをとっても感動と言うか凄さを覚え、もっと人生頑張ろうと思いました。
「猿島」は船で10分程度の所にあり、今は観光地となっていてパンダ会の面々が浮いているようでした。ここにきている何人の人が60数年前に起こった出来事を分かっているのかと疑問に思いながら歩いていましたが、すぐに和洋折衷のような構築物に引き込まれていきました。精密な造り、砲台跡、当時はどうなっていたのかと空想をしながら猿島を巡っていました。
「防衛大学」は中に入ると戦車や飛行機があり、「やはり防大だ!」と思いました。
横須賀の町と港、海を一望できあの景色を見ることが出来き、この会に入ってよかったと心から思いました。ホントに・・・!
防大内の戦時中の監視所跡らしきものは、そこだけ南国の場所にあるような感じで、映画のワンシーンのような、なんとも言いようのない感覚でした。

全体を通してやはり本やネットで見るより、自分の足で歩き、見ることは大切だと思い知らされます。当時の人たちがどのような想いでいたのかを考えることによって、今後に繋がっていくのではないかと思います。また、あのような場所を風化させることなく、保存管理をしていかなければならないと強く思いました。

稚拙な文で恥ずかしながら、書かせていただきました。皆様お疲れ様でした。

【AK】

【小松】
○立派な座敷と、海軍関係の写真・書等の展示が魅力的でした。あのような大広間で並みいる部下を従えふんぞり返ったらさぞかし気分がいいだろうなあ。男のあこがれが連合艦隊司令長官というのがよく分かります。
【猿島】
○1846年アメリカ使節・東インド艦隊司令長官ビッドルが、巨艦2隻を率い、通商を求めて浦賀に来航した。対抗処置として台場(砲3門)を設置したのが猿島要塞の始まりとのこと。通商を求めるアメリカ艦隊の来航はベリーが初めてではなかった、ということを思い出しました。
○トンネルをくぐったとき、昨年行った「松代大本営跡」を思い出しました。
○石垣を築き、砦を築く。男は「城」を作るのが好きなのか。濱口さんの『思城居』を思い出しました。思いだすことばかり。
【防衛大学校】
○「防衛大学校」のことについては何も知らなかった、ということを知りました。あまり考えずに入学してくる学生が大半ということを聞いてびっくり。しかし、ほとんどの学生がしっかりした考えを持って卒業していくと聞いて安心。
○かなりが途中で止めると聞きましたが、体育会系の運動部も似たようなところがあります。私のいた空手部も、毎年入部時は30人ぐらいで、1年で半減し、卒業時には10人以下といった感じでした。最近のことは分かりませんが。
【見学の後】
○大きなネイビー・バーガーと海軍カレーの両方を食べて、若い人の真似をしてどうするのか、と家内に叱られました。今日は朝食抜き。

【笹舟】

料亭小松、三笠公園、猿島、防大、ドブ板通りと短時間に盛りだくさんの内容でした。今の横須賀は米軍の街でした。我がもの顔の米兵をちょいとくやしく思いながらも文句が言えない。日本はまだ米国の占領地だと言う事を実感した。逆に、小松や猿島のタイムスリップしたような空間からは、頭と体を駆使し命を掛けて戦った日本人の姿が目に浮かぶ。是非、全ての掛け軸を見ることが出来るという5月27日に小松を訪ねてみたいと思う。しかし、防大のキャンパス内に点在していた戦闘機や不用に大掛かりな実験装置からは戦う日本を感じた。あの装置は間違いなく秘密の実験の為のものだ。きっと防大以外にもまだ諦めていない日本人がいろいろと仕掛けをしているに違いない。まだまだ日本は生きている!!と、飲み騒ぐ兵隊さんを眺めでっかいバーガーを食い、バドワイザー飲みながら感じた横須賀でした。でもよく考えると、我々は守られているのにその事を知らない大人子供なんですね。最後に猿島のガイドさんの存在は大きかった。(市民ボランティア 参加者1名につき300円。要予約)

【M】

横須賀訪問は人生2度目。高速を降り、山から下りてゆく道から望む湾内は、相変わらず軍港ならではの独特な雰囲気。
今回のフィールドワークは旧海軍ゆかりの料亭「小松」にて集合。
歴史的展示物が飾られた待合室にてご主人より小松の歴史をご紹介いただいた後に、館内をひとめぐり。ロビーにあった番号付きのハンガーフック、大広間や軍関係者の密談に使用された部屋など、歴史ある建造物に感激。近現代史を語る上で欠かせない人達の掛け軸を見て、その書に込められた当時の時代背景に思いを馳せた。お部屋にて参加者の皆様と談笑しつつ、小松特製の御弁当をいただいた後、一路三笠公園へ。
Z旗を掲げ聯合艦隊を世界海戦史上空前の勝利に導いたあの戦艦三笠を横目に見つつ、猿島行きの船に乗り込む。
潮風に揺られ海の色とクラゲの多さに驚いているうちに猿島に到着。
ガイドさんの案内の元、要塞として使用されていた島内を歩く。
対艦船の要塞として設計された当時と違い、航空機攻撃が主体となっていた戦争末期には、せっかくの武器弾薬も飛行機の高度に届かなかったそうである。先人の無念を偲ぶと共に、前回の聴講会のテーマ「文明の格差とこれからの日本」をふと思い出した。名物かき氷「ブルー猿島」で暑さを凌ぎ、再び横須賀に戻る。
その後防衛大学校にて見学。防大生の逞しさに頼もしさを覚えつつ構内をひとめぐり。この大学校を取り巻く現実について様々なお話を聞かせていただいた。最後に砲台の観測所を見学。まるでタイムスリップしたような景色に圧倒され何枚も写真を撮ってしまった。フィールドワーク第一部はこれにて終了。ドブ板通りにてすかさず第二部に突入。米軍向けのバーにて酔っ払いの米兵に交じりハンバーガーを齧り横須賀について語る。腹八分目ではあるがせっかくということで、海軍カレーにも挑戦!見事全員カレー完食後、残り僅かな時間を日本の防衛について議論した。そして炭水化物で膨れ上がった腹をもてあましつつ、横須賀を後にしたのであった・・・。
今回もPANDA会ならではのディープなフィールドワークであった。次回も参加しよ~っと♪

【PANDA会 園芸部長 奥山】

横須賀と聞いて、まず私が連想したのは戦艦三笠だった。「坂の上の雲」を読んだ影響から、この目で三笠を見ようと横須賀を訪れたのは10年前のクリスマスイブ。しかし、その日は同行してもらった相手と歴史観の相違が原因で大喧嘩をしてしまった。いや、喧嘩の本当の原因は、そんな日に三笠行きを強行した私に対しての憤りだったのかもしれない。まあ、今となっては良い思い出である。

閑話休題。さて、今回の横須賀フィールドワークでは三笠のみならず、当時果たせなかった猿島要塞上陸もスケジュールに入っているという事で、喜び勇んで参加させて頂いた。正直、海軍料亭小松については当日まで全く知識がなかったのだが、訪れてみて驚いた。さすが、軍港の町である。博物館顔負けの品々に粋を凝らした見事な内装。小松創業の明治18年からの歴史が凝縮されているようだった。その歴史ある小松の応接室で尿管結石の話で盛り上がったのは創業以来我々だけであろう。

小松での昼食後は、三笠公園から定期船で猿島を目指す。海を見て興奮しない山国育ちは居ない。生粋の甲斐人である私は海が近づくにつれ強くなる潮の香りだけで気持ちが昂っていた。その上、船にまで乗ることができた私のテンションは最高潮に達し、船上での気分は海軍士官であった。そんな興奮冷めやらぬまま猿島に上陸。観光案内ボランティアの方から資料を頂き、各所の遺跡についての説明を受けながら島内を巡った。各所に幕末、明治、昭和の各時代に作られた施設が残っており、猿島が開国以来要塞として整備され続けていた事実を静かに示していた。特に、明治時代に作られたというレンガ造りのトンネルは見事なもので、トンネル内から高射砲台へ続くという階段を見ながら、そこを駆け登る兵士の姿を想像した。

予定では、この猿島散策をもって今回のフィールドワークは終了だったのだが、同行して頂いた方の計らいで、なんと防衛大学校にお邪魔することができた。あちこちに展示されている戦車や戦闘機を見ながら敷地内を巡り、旧軍が使用していたトーチカに辿り着いた時、目に飛び込んで来た光景は衝撃的だった。夕日を背にしたコンクリートの塊は凄まじいまでの存在感で、まさに映画のワンシーンそのもの。異彩を放つトーチカに圧倒されたのは私だけではなかったようで、皆興奮を隠しきれない様子だった。

今回のフィールドワークでは、横須賀が経験した歴史に多く触れることができた。遺跡自体は過去のものだが、今を生きている都市の中で遺跡がどのように存在しているか、それを目にする事はとても有意義であると改めて感じた一日だった。今後も出来る限り多くの遺跡を訪れたいと思う。

【事務N】

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