館山フィールドワーク

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更新日 2010-11-12 | 作成日 2008-12-09


































第四回フィールドワーク館山

 2010.06.26

フィールドワーク概要

■日時■ 2010年6月26日(土)

■場所■ 館山:海上自衛隊21航空群基地/赤山地下壕

■参加人数■ 6名

■行程■
午前 海上自衛隊21航空群基地見学
昼食 基地内食堂
午後 赤山地下壕見学
   洲の空射撃場跡
   コンクリート製防空壕見学
   震洋隊の施設跡見学
   海軍砲術学校記念碑を見学
   海軍砲術学校缶室(ボイラー)跡見学
   海軍砲術学校跡地を高台からご解説頂く

フォトギャラリー

海上自衛隊館山基地の格納庫海上自衛隊館山基地の格納庫でSH-60Kについて説明を受ける。 その後、皆、操縦席に乗せてもらいました♪ 昼食のひとときガイドの佐藤さんを囲みながら、豪華な昼食のひととき。これも岡田司令の細やかなお心遣いがあってこそ。
戦闘機の掩体壕道路の脇にひっそりと佇む戦闘機の掩体壕。館山の街中には、こうした戦跡がたくさんあります。 館山海軍砲術学校跡を示す記念塔館山海軍砲術学校跡を示す記念塔。 自衛隊が管理し、ときどき清掃に訪れるそうです。

フィールドワークレポート

 参加者より一言

「赤山の地下壕は何度見てもスゴイ!」
どんよりとした曇り空の中、一行は一路館山へ。私にとっては二度目の館山戦跡訪問となります。以前、左近允尚敏先生と共に館山基地の部外講話講師を務めさせていただいたことがあり、このとき館山の戦跡巡りを佐藤様にご案内していただきました。館山は本土防空の拠点となった場所。また洲崎航空隊の基地もありました。防空壕や基地跡を佐藤様に丁寧にご解説いただいて、一日があっという間でした。あの感動をもう一度……とばかり、今回、フィールドワークで館山戦跡巡りを提案いたしました。
何度見ても、赤山の地下壕には感嘆します。そして、丘の上の「作戦室」。あの謎の龍の絵は、私の脳裏から離れません。そして鬱蒼と茂る森の中に突如として現れる射撃場跡地。ここ館山は、今も戦争の記憶とともに在るのだと思います。
写真で見るより、実際に足を運んで目の当たりにすることで感じることがあります。眼で捉え、心と肌で感じ取ることができるのがフィールドワークの良さでしょう。
21空司令の岡田様には、休日にもかかわらず多大な便宜を図っていただきました。心より感謝申し上げます。SH-60Kの操縦席に乗った参加者たちの、嬉々とした顔が何とも言えませんでした(笑)。また、以前と同様、懇切丁寧にガイドをしてくださった佐藤様にも、深く感謝申し上げます。たった一日で、主だった戦跡を巡ることができたのは、佐藤様も采配に寄るところ大です。企画担当の仲手川さん、今回はお疲れ様でした!

【笹】

「館山フィールドワークに参加して-過ぎし戦争の輪郭ある場に出会へたひととき」
漠然とフィールドワークといふ場に出てみてもいいのかなとの思ひもあって、パンダ会の今回の行事に出させて貰ひました。前の日に今回のフィールドワークを楽しみになさってゐる方々がいらっしゃる中、入門者的な私が、初めて巡見(フィールドワーク)参加でした。
先づ、最初に述べなければならないのは、今回企画を率先して立てていただいた仲手川さんに対してのお詫びです。当日までに館山に何があるかを殆どチェックしない儘、私は参加したからです。
それはさておき、私は今まで、「はるかなる山河に」「ああ同期の桜」「雲ながるる果てに」のやうな戦歿者の遺文集に感動して、戦史の世界に少し縁したと思ってゐます。先人達の壮絶な経験への敬意はあっても、彼等が実際にふれられた現場へのアプローチは、あまり積極的ではありませんでした。その意味で、今回は、圧倒されるやうな現実に出会へる事となり、大いなる体験でありました。
端的に申し上げれば、今回二つの心に残った場所がありました。一つは、「館山海軍航空隊・赤山地下壕」でした。航空基地の裏手の赤山あたりにつくられた一・六キロに及ぶ地下壕の実在は、凄く重かったです。通路に照明設備がなければ、全くの暗闇なる場所に、大東亜戦争の最後の一年程の間に五~十メートル幅の地下壕がつくられてゐたとは。解説していただいた所では、全くの自主的な営みでつくられてゐた模様であり、つい最近までその存在さへ世間には知られてゐなかったらしい。このやうな人力のみのやうな厖大な仕事量が静かに存在し得たのは、先の大戦に賭けた当事者の無私の情熱量を示してゐるやうに思ひました。八月十五日まで掘り進められ、その後打ち捨てられた儘であった事は、当時の日本人の無念さが籠ってゐるかもしれません。  更にもう一つ心に残ったものは、「戦闘機用掩体壕」です。「掩体壕」といふ言葉は、前から知ってゐると思ひ込んでゐましたが、戦闘機を敵の空からの襲撃から守る施設と知って、目から鱗でした。今、私は戦史と戦争に関はってゐるわけですが、未だ未だ現実の全的理解に至ってなかったと思ひ知らされました。
館山のフィールドワークの一日は、氣がつけばあっといふ間に過ぎて行ってしまひました。先の戦争の奥行きある重厚な理解への第一歩になった点でも大いに意味がありました。無意識の知ったかぶりの自分にも出会へたひとときでもありました。このフィールドワークに関はった皆様、本当に有難うございました。

【小野泰彦】

「とてもリアリティを感じられる見学内容」
この度は本当に良い経験をさせて頂きました。 今まで、日本各地にある戦争関連の博物館や戦跡などに見学した事は多少たりともありましたので、今回の館山戦地巡りもある程度は想像しておりましたが、実際に参加させて頂いてとても驚く事が多かったです。
何に驚いたかと申しますと、東京からそれほど遠くない距離である館山の地に、戦争当時の砲台跡や海軍航空隊跡が想像以上に数多く残されている事、その戦跡が風化こそしているものの現在の生活環境に溶け込むように生々しく存在していた事です。
今まで私が勉強不足だった事もありますが、生活感のある民家の間や畑の隙間などのいたる所に壕や海軍砲術学校跡地が忽然とある事に、都会で何気なく暮らす私としては、とてもリアリティを感じられる見学でした。
戦争当時、命を賭け戦っておられた方、また住民の方々がどのような思いと心境でこの館山の地で生活なさっていたかを理解する事は到底難しい事です。しかし現在でもこのように生々しく残っているという事を考えてみれば、私達は世代を超えても忘れてはいけない事だと思いました。
時の流れによって戦争を語り継ぐ当時の体験者の方々が減少し、戦跡が風化して行く中、記録を残し語り継いで行く事はとても重要な事を再認識する事が出来ました。
 戦後生まれの我々にとっては、実際に自分の目で見て、自分の足でその場を歩いてみる事が近現代史を理解する上で重要なのだなと改めて感じる事が出来た素晴らしいフィールドワークでした。
 この度、ガイド役としてポイントを押さえた素晴らしい解説付きで各地をご案内して頂き、ボランティアで戦争を語り継ぐ事に責任と使命感をお持ちで活動をなさっておられる佐藤博秋様、また海上自衛隊第21航空群におきまして、大変解りやすい施設のご説明と、身に余る程のおもてなしを頂戴いたしました岡田様には心より感謝と敬服を申し上げます。

【仲手川 啓】

「贅沢な戦跡巡りにお腹いっぱい!」
私にとっては今回が初めてのフィールドワーク参加であり、ドキドキワクワクで当日を迎えました。集合時間に遅れるとマズイと思い、集合場所の東京駅八重洲中央口には早く着いたのですが、どなたも見つからない!?駅の中と外を隈なく探し、館山探訪の前に東京駅探訪をしてしまいました。何とか無事合流し、車で一路館山へ。道中、後部座席にて熱い議論が勃発し、助手席にてその議論に耳を傾けていたらアっという間に館山に到着しました。結構、東京から近い事が分かりました。
海上自衛隊21航空群基地入口にはすでに本日一緒に同行していただける佐藤博秋さん(ボランティアガイド)と岡田真典さん(第21空司令)が待っていてくれました。到着早々、岡田司令から21航空群基地の概要を教えていただき、「写真撮ってもいいのかな?」なんて考えつつ緊張して説明を聞きました。次はナント!倉庫にあるヘリの操縦席に乗せていただけると言うので、「ホントに乗っても大丈夫かな?」と恐る恐る乗ってみると、カメラがこちらを向くのでギコチナイ笑顔でハイ、チーズしてしまいました。その後、ナントナント!管制塔に登らせていただけるというではありませんか!!6階の高さまで階段で登るのですが、「私だけ途中で休んでもいいかな?」なんて思っても実際休める勇気もなく、一気に登ってしまいました。管制塔の中に入れるなんて一生に一度あるかないかの経験なので、緊張してうわの空になっている自分がいました。「管制塔に忘れ物だけは出来ない」と思い、慎重に持ち物をチェックしてまた1階まで階段で下りました。その後、貴重な資料室や記念碑などを見学し、基地を後にしました。
つづいて赤山地下壕跡見学。まるで徳川の埋蔵金が隠されている様な、総延長2kmの巨大地下壕。以前、松代の地下壕、沖縄の地下壕、硫黄島の地下壕などを見た事がありますが、赤山の地下壕はしっかりした造りになっている気がしました。基地司令部、戦闘指揮所、発電所、燃料貯蔵庫などがあったと考えられている全国的に珍しい地下壕だそうです。この地下壕をツルハシで掘ったというからこれまたスゴイ!
この後も、128高地の壕、洲ノ空射撃場跡、零戦掩体壕、海軍砲術学校跡地の塔などを見学。普段贅沢に慣れていない私のお腹にとって、本日の贅沢な戦跡巡りにお腹いっぱいになってしまいました。日本地図を見ると館山は東京湾の要石の様な場所に位置し、壮絶な歴史があった事に想いを馳せました。そして自衛隊の事も館山の事も良く知らない私でしたが、一日いろいろな事をお二人に教えていただきとても勉強になりました。最後に岡田司令をはじめ日本を守る自衛隊の皆様に感謝し、また佐藤さんをはじめとする戦跡を守るボランティアガイドの皆さんに深謝し、館山研修ツアーの報告とさせていただきます。

【入倉修】

「この広い日本を守るのは如何に大変なことか」
第21航空隊の岡田司令、またガイドの佐藤博秋さんに自ら案内していただき、大変感動致しました。普段個人的には中々見ることのできない基地の内部、管制塔などを見学でき、大いに勉強になりました。
実際の飛行訓練中の航空機等を見ることはできませんでしたが、逆に直接の戦闘員だけでなく、その後方で如何に多くの人達がそれを支えているかが分かりました。管制塔を見ていて、もしここを攻撃でもされたら、飛行中の航空機はどのようにコントロールするのだろうと思いました。しかしそれは想定していないとのことでした。確かに戦前のように爆撃機が上空まで飛来して爆弾を落とすような戦闘はもうないのでしょう。国土を守る方法も戦前とはすっかり変わったのかと思いました。それにつけてもこの広い日本を守るということが如何に大変なことか、考えさせられました。日本は排他的経済水域を含めると世界第6位の広さで、その中に中共軍の潜水艦がしばしば侵入してきます。基地問題や日本のシーレーンを考えるとき、やはり空母の1隻ぐらい持たなければ、と思いました。
掩蔽壕は、ここにすっぽりと零戦を隠したのかと思わせる形をしており、そこに格納されていたであろう零戦が目に浮かぶようでした。射撃場跡の岩肌には、零戦の20㎜機銃と7.7ミリ機銃との威力の差を示して、大小2種類の弾痕が数多く残っていました。
赤山地下壕・洲の空指揮所壕では、よくこれだけのものを人力で掘ったものと感心しました。岩壁のツルハシの跡がその凄さを物語っており、一昨年見学した松代の大本営跡地を彷彿させました。洲の空指揮所壕の天井に彫られた竜は印象的でした。印象的だったのはその芸術性です。彫刻を申し出る以上腕には相当自信があったのでしょう、見事な竜の彫り物でした。このような時期によくそうした余裕があったと佐藤さんもおっしゃっていましたが、戦場では人間はいつもそうした心の安らぎのようなものを求める気持ちがあるのかもしれません。ある水兵が夕食後、土井晩翠の『天地有情』に安らぎを求めていた、という話を聞きました。
中身の濃い見学をさせていただき、有意義な一日でした。あらためて岡田司令、佐藤さんに感謝申し上げます。

【水野靖夫】

「我らの海上自衛隊 館山基地を訪問して」
館山海軍航空隊。この響きに興奮を覚えるのは私だけだろうか。
6月26日(土)、フィールドワークの一環で、現在の海上自衛隊第21航空群館山基地を訪れた。基地正門到着時、なんと門外まで第21航空隊司令 岡田1佐と佐藤博秋氏が出迎えて下さった。びっくりした。大歓待ある。ご挨拶の上で正門をくぐる。水兵さんの敬礼。もう私の感情は一気に高ぶった。かの館空、21空群に来たのだ。
ブリーフィングルームらしき所で基地の説明を岡田1佐御自らして下さる。感激した。大先輩の佐藤氏を前にやや恐縮気味ではあったものの、純白の制服に身を包み、ひとつひとつ丁寧に基地のお話しを賜った。取り分け印象的であったのは、説明の中で『自衛艦隊』の言葉が出た時、続けて『まぁ、聯合艦隊ですね。』とスラッとおっしゃったことである。その通りである。一市民として、司令のさりげない物言いに全く同意した。彼らは帝國海軍の末裔なのであり、日本海軍なのである。
続けて基地内を案内して頂き、対潜哨戒ヘリコプターに搭乗した。そこでも我らを待っていたのは、整備の方々。媚びへつらうことなど勿論なく、質問にも丁寧に答えて下さり、見学中、ずっと後に手を組みつつ見守って下さった。彼らだけではない。管制塔で当直に就かれている幹部曹士の皆さん、昼食時に配膳をして下さる水兵さん、この日には我らの前に出られなくとも、準備をして計画を立てて下さった皆さん、こういう方々が日本にいることを目の当たりにして、我ら国民は日々安穏に暮らせることを切に痛感した。また赤山地下壕では、佐藤氏の懇切丁寧な講義に感動した。氏のような方がまたいらして、当時そこで任務に就かれた将兵、それを掘削した方々の労苦も報われるのである。この日、余談ではあるが、将官待遇!?の大ご馳走の昼食、磨き上げられた手洗いには心躍らされ、また海軍を感じた次第である。
海上自衛隊。帝國海軍。これらは同義語であると私は思っている。そこにあるのは思想ではなく、任務であると感じた。我らは等しく、国のために真面目に務められる彼らに感謝をせねばならない。今回ご案内して下さった岡田司令、佐藤氏はじめ館山基地の皆様に深く御礼を申し上げます。

【﨑津寛光】

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